サバデルに生まれ、ジャバックから、バルサのユースカテゴリーに2005年の夏に入団した。そのシーズン、フベニルAカテゴリーで三冠を達成。同じチームに、ボジャン、ジョバンニ、ジェフレン、マルク・クロサスなどがいた。2006-07年、セルヒオ・ブスケッツは、フベニルAでつづけ、 アレックス・ガルシア率いるチームの柱となった。フベニル3年目の時は、中盤の選手としてプレーしていたにもかかわらず、出場した26試合中7ゴールをマークした。
その翌年、ブスケッツは、ペップ・グアルディオラ率いるバルサBに上がった。12節までは、セルヒオはスタメンに入らなかったが、その後、23試合をスタメンとして過ごした。2ゴールをあげ、2部B昇格のキーマンとなった。その後、トップチームと共に2007‐08年、2008‐09年のカタルーニャ杯に参戦した。リーグ戦でのデビューは、ラーシングとの対戦(結果は1-1)で、2008年9月13日のことだった。ブスケッツはスタメン出場を果たし、90分間、フルでプレーした。これはデビュー戦で終わらず、その後、ブスケッツは大事な中盤の選手としての位置を固め、チームに三冠をもたらした。国王杯及びチャンピオンズリーグの決勝でも、スタメン出場し、彗星のごとくトップチームに現れた。1年間で3部から一気に1部で欧州チャンピオンになったのだ。
09‐10年は、国際レベルで最も実力のある中盤の選手であることが認められた年だった。トゥーレ・ヤヤとポジション争いをしながらもリーグ戦で33試合、チャンピオンズリーグ10試合、国王杯で4試合をこなした。2010‐11年、中盤でスタメンの座を確保し、スーパーカップ、リーグ優勝、チャンピオンズリーグ制覇を達成したバルサの鍵となった。2011-12年、セルヒオ・ブスケッツは、その輝きを失うことなく、スペインスーパーカップ、欧州スーパーカップ、クラブワールドカップ、国王杯の制覇に大きく貢献した。52試合中2ゴールをマークし、チームで中心的役割を果たした。バルサでの優れた働きは、スペイン代表招集を招く結果となり、2009年4月1日にアリ・サミ・イェンで行われたトルコ代表との対戦(結果は1-2)で、代表デビューを果たした。2009年、南アフリカで行われたコンフェデレーションカップに参戦した。
2011/2012年、セルヒオ・ブスケッツは、更に向上を続け、スペインスーパー杯、欧州スーパー杯、クラブワールドカップ、国王杯の制覇に貢献し、52試合に出場し、2得点を決めて、チームの主軸となった。
もっとボールを取り返すことができるミッドフィルダーとして、位置を確率した2012/13年には、43試合に出場した。この年、バルサは勝ち点100に達してのリーグ優勝を果たし、セルヒオは、トップチームで200試合目を迎えた。
2013/14年、ブスケッツは、3大会に出場し、3得点を決めて自己記録を作り、ピッチ場で必要不可欠な存在となった。送出上試合数は、48試合であり、バルサのユニフォームを着て250試合目をセルタのバライドスで迎え、また、チャンピオンズリーグでも、50試合目を迎えた。
2014/2015年、セルヒオ・ブスケッツは、バルサのユニフォームを着て、300試合目に達し、シャビ、イニエスタ、メッシ、アウベスについて、出場数ランキングの5位となった。この年、44試合に出場し、その内訳は、リーグ戦で29、チャンピオンズリーグで9、国王杯で6試合であり、メスタージャでバレンシアを前に試合終了1分前に勝利弾となるこのシーズン唯一のゴールを決めた。
このバルサでのキャリアがスペイン代表招集にもつながり、2009年4月1日にトルコ代表を前にデビュー(1-2)してから、2009年には、南アフリカのコンフェデレーション杯にも参戦した。
ビセンテ・デル・ボスケは、継続してブスケッツを起用し、スペイン代表の南アフリカワールドカップ(2010)、ポーランド−ウクライナ共催ユーロ(2012)、ブラジルコンフェデレーションカップ(2013)での優勝を果たした際の中盤の要となった。2014年のブラジルワールドカップでも召集されたが、この大会でスペインはグループリーグで敗退した。
ブスケッツがバルサのユニフォームを着てデビューを果たしたのは、2008年9月13日のリーグ戦、ラーシング戦であり、試合はドロー(1-1)に終わった。