ジョルディ・アルバは、FCバルセロナとバレンシアが移籍の合意に達し、2012年2012年7月5日にバルサの新選手として加入した。ホスピタレット出身のアルバは、23歳でカン・バルサに復帰することになり、2012‐13年最初の新戦力となった。
ジョルディ・アルバ・ラモスは、1989年3月21日にオスピタレット・デ・ジョブレガットで生まれた。バレンシアCFから、FCバルセロナでの第二期を過ごすべく、戻ってきた。バルサのユースカテゴリーで7年以上、過ごした第一期は、弱冠10歳の時にアレビンカテゴリーに入団したことから始まる。その後、アレビンB、アレビンA、インファンティルB、Aでプレーし、カデテBで2年間過ごした。そこでは、ボジャン・クリキッチ、フラン・メリダ、ドス・サントスと一緒に過ごしている。
2007年のシーズン末、バルサからUEコルネジャに移り、そこで1年間過ごした。その1年後、バレンシアが契約破棄金の6000ユーロをコルネジャに払った。ジョルディ・アルバは、翌年、バレンシアのフベニルに参戦し、そこから、メスタージャまでたどり着いた。チームでは、2部B昇格の鍵になり、その活躍が認められて、初めてU-19代表にも選出された。
2008‐09年、ヒムナスティック・デ・タラゴナにレンタル移籍し、2部で30試合以上、出場した。その1年後、エジプトで行われたU-20のクラブワールドカップに参戦するために、U-21代表に招集された。その夏に、レンタル移籍を終え、バレンシアでプレシーズンをトップチームと過ごすために戻った。そこからは、トップチームのメンバーとして定着した。
2009年9月13日に、リーグ戦で公式デビューを果たす。バジャドリードが対戦相手だった。左サイドバックとして獲得されたが、バレンシアではジョルディ・アルバは、数多くの異なったポジションでプレーすることが多く、そのポリバレンス性を証明した。スタメンの座を確保し、全部で106試合に出場した。最後のシーズンは48試合に出場した。
FCバルセロナの新加入選手として、2012年7月5日に入団し、ティト・ビラノバ時代の最初の獲得選手となった。
ジョルディ・アルバは、その初日から居場所を築き、初年度、公式試合44試合に出場し、5得点を決めて攻撃的センスも証明した。44試合にアルバが参戦した試合中、その内訳は、31勝6分7杯であり、勝ち点100を手にしたリーグ戦での鍵となる選手となった。負傷により、厳しいシーズンを過ごしたにも関わらず、ビセンテ・デル・ボスケは、2014年の夏、ブラジルワールドカップに召集したが、スペイン代表はグループリーグで敗退した。
2013/14年、アルバは、負傷により、出場回数が激減し、参戦したのは、全大会を通して26試合だった。シーズンの諸番にカルタヘナーバルサ戦で、負傷後、3ヶ月ぶりにピッチに復帰したが、後期になり、太腿二頭筋を再び、負傷した。
バルサでの3年目、バルサのユニフォームを着て、勝ち点100点を手にしたリーグ戦で、2015年2月28日にグラナダ戦で、百試合目を迎えた。バルサのサイドバックは、リーグ戦で27試合、チャンピオンズリーグに11試合、国王杯で5試合に参加し、2得点を決めた。6月8日、2020年6月30日までの契約延長を行なった。
バレンシアでの最後のシーズンにアルバが見せた素晴らしい活躍は、初めてスペインA代表に招集されるきっかけとなった。ビセンテ・デル・ボスケは、2011年9月30日に、スコットランドとの対戦でデビューさせ、その後、ジョルディ・アルバは、ポーランドとウクライナで行われるユーロのスペイン代表左サイドバックとして、招集されるまでになった。アルバは、そのユーロを制し、2013年コンフェデレーションズカップのファイナリストにもなった。
ジョルディ・アルバは 2012年8月19日にバルサのトップチームの選手として、 2012/13年リーグのレバンテ戦で公式デビューを果たした。試合は、バルサが快勝した(5-1)。