Stegen 1 Marc-André ter Stegen
Neto 13 Neto
Dest 2 Sergiño Dest
Piqué 3 Gerard Piqué
Araujo 4 Ronald Araujo
Lenglet 15 Clément Lenglet
Alba 18 Jordi Alba
Roberto 20 Sergi Roberto
Umtiti 23 Samuel Umtiti
Firpo 24 Junior Firpo
Busquets 5 Sergio Busquets
Pjanic 8 Miralem Pjanic
Puig 12 Ricard Puig
Coutinho 14 Philippe Coutinho
Pedri 16 Pedri
Fernandes 19 Matheus Fernandes
Jong 21 Frenkie de Jong
Griezmann 7 Antoine Griezmann
Braithwaite 9 Martin Braithwaite
Messi 10 Lionel Messi
Dembélé 11 Ousmane Dembélé
Trincão 17 Trincão
Fati 22 Anssumane Fati
Koeman Ronald Koeman
1990年4月2日にトゥズラ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に生まれたミラレム・ピャニッチは、トータルのミッドフィルダーだ。ユベントスの指針となる選手の一人として、確固たる地位を築いたあと、バルセロナに2020年の夏、そのクオリティを中盤で証明すべくやってきた。プロとしてのキャリアをフランスのメッスで2007年にデビューし、スタートしている。
カテゴリーから降格したにも関わらず、ボスニア人選手は、非常に優れたシーズンをみせ、それがオリンピーク・リヨンの目に止まることになった。そこから、ピャニッチの名前は、国際サッカーシーンで聞こえるようになった。実際、オリンピークは、ピャニッチと共に、 2009/10年に、初めてチャンピオンズリーグの準決勝に進む快挙を手にした。
フランスのクラブチームで3年間を過ごし、115試合に参戦し、 16ゴールを決めたあと、ピャニッチは、イタリアの首都に行き先を変え、ローマで2011年からプレーすることになった。そこで、個人レベルでは、最高の統計データを打ち出すことになった。 ローマでの5年間で、200試合近くに参戦し、30ゴールを決め、40ものアシストを送った。にもかかわらず、タイトル制覇は、2016年まで訪れなかった。ビアンコネリの選手として、熟成を見せた選手は、世界最高峰のチームの一つで、議論の余地のない選手となった。ベッキーナ・シニョーラと共に、4界、リーグ優勝、2回のイタリアカップ、イタリアスーパー杯1回を獲得した。
ルクセンブルグ代表のユースカテゴリーでプレーしたにも関わらず、ピャニッチは、そのサッカーキャリアをボスニア代表で発展させ、国の英雄となった。ミッドフィルダーは、ボスニア代表史において、試合数のランキングでは3位、最多ゴールランキングでは6位の座にいる。
中盤のあらゆるポジションで、プレーしたといっても過言ではない。メッスではセカンドトップで、オリンピーク・リヨンとローマでは、インサイドの一人としてプレーし、ユベントスでは、ピボーテとしてその座を固めた。セカンドラインからの飛び出しのうまさや見事なボールキックが、彼に70ゴールをもたらすことになった。両足でのボール扱いのクオリティ、プレービジョン、サッカー選手としての熟成が、ピャニッチを現在のサッカー界最高峰のミッドフィルダーの一人に仕立てている。