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ミッドフィルダー
8 Miralem Pjanic
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両足でのボール扱いのクオリティ、プレービジョン、サッカー選手としての熟成が、ピャニッチを現在のサッカー界最高峰のミッドフィルダーの一人に仕立てている

1990年4月2日にトゥズラ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に生まれたミラレム・ピャニッチは、トータルのミッドフィルダーだ。ユベントスの指針となる選手の一人として、確固たる地位を築いたあと、バルセロナに2020年の夏、そのクオリティを中盤で証明すべくやってきた。プロとしてのキャリアをフランスのメッスで2007年にデビューし、スタートしている。 

カテゴリーから降格したにも関わらず、ボスニア人選手は、非常に優れたシーズンをみせ、それがオリンピーク・リヨンの目に止まることになった。そこから、ピャニッチの名前は、国際サッカーシーンで聞こえるようになった。実際、オリンピークは、ピャニッチと共に、 2009/10年に、初めてチャンピオンズリーグの準決勝に進む快挙を手にした。

フランスのクラブチームで3年間を過ごし、115試合に参戦し、 16ゴールを決めたあと、ピャニッチは、イタリアの首都に行き先を変え、ローマで2011年からプレーすることになった。そこで、個人レベルでは、最高の統計データを打ち出すことになった。 ローマでの5年間で、200試合近くに参戦し、30ゴールを決め、40ものアシストを送った。にもかかわらず、タイトル制覇は、2016年まで訪れなかった。ビアンコネリの選手として、熟成を見せた選手は、世界最高峰のチームの一つで、議論の余地のない選手となった。ベッキーナ・シニョーラと共に、4界、リーグ優勝、2回のイタリアカップ、イタリアスーパー杯1回を獲得した。

ルクセンブルグ代表のユースカテゴリーでプレーしたにも関わらず、ピャニッチは、そのサッカーキャリアをボスニア代表で発展させ、国の英雄となった。ミッドフィルダーは、ボスニア代表史において、試合数のランキングでは3位、最多ゴールランキングでは6位の座にいる。

トータルミッドフィルダー

中盤のあらゆるポジションで、プレーしたといっても過言ではない。メッスではセカンドトップで、オリンピーク・リヨンとローマでは、インサイドの一人としてプレーし、ユベントスでは、ピボーテとしてその座を固めた。セカンドラインからの飛び出しのうまさや見事なボールキックが、彼に70ゴールをもたらすことになった。両足でのボール扱いのクオリティ、プレービジョン、サッカー選手としての熟成が、ピャニッチを現在のサッカー界最高峰のミッドフィルダーの一人に仕立てている。

出生地
Zvornik, Bosnia And Herzegovina
生年月日
02/04/1990
体重
72kg
身長
178cm

キーパーフォーマンス統計 Miralem Pjanic

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