1974-1978年: バルサの選手が鍵になったワールドカップ (III)
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今回は、クライフ、ニースケンスの‘メカニック・オレンジ’に代表された1974年のバルサの選手を中心としたワールドカップ及びニースケンスのオランダが1978年に開催国の前に、二年連続でタイトル制覇できずに終わったワールドカップについて、振り返る。
ドイツ連邦 (RFA) 1974
- このワールドカップに参加したバルサの選手は、二人のみ、オランダ代表のヨハン・クライフとヨハン・ニースケンスのみだった。このワールドカップにバルサの選手の参戦率が低かったのは、スペインがユーゴスラビアと勝ち点では並びながら、得失点差で負け、参戦できなかったことによる。
- クライフとニースケンスは、オランダ代表としてプレーし、後に‘メカニック・オレンジ’の名を手にすることになる代表と共に世界のサッカーシーンを驚かせた。オランダは、スエーデン、ブルガリア、ウルグアイを破り、グループ内1位で進出し、グループリーグ式になってから初めて2位になったが、その後、ブラジル、民主ドイツ、アルゼンチンと対戦しなければならなかった。
- オランダは、初めて3試合で勝利をあげ、第二段階に進み、決勝進出を果たし、開催国であるドイツ連邦と戦った。バルサの選手だったニースケンスが得点したものの、最終的にはドイツの壁を破れず、2‐1で負けた。
- ニースケンスは、ポーランドのアンドレジ・ツアーマッヒと並び、大会得点王ランキングの2位になった。得点王はそれより2得点多い7ゴールを決めたポーランド人選手のグゼゴルツ・ラトだった。もう一人のバルサの選手、ヨハン・クライフは3得点を決めた。
アルゼンチン 1978
- 6人のバルサの選手がこのワールドカップには参戦した。そのうちの5人はスペイン代表選手のオルモ、ミゲリ、デ・ラ・クルス、アセンシ、レシャックだった。6人目の選手は、オランダ人、ヨハン・ニースケンスだった。
- 抽選でスペインは、オーストリア、ブラジル、スエーデンとぶつかることになった。ブラジル相手にドローに終わり、スエーデンとの対戦では、バルサの選手、アセンシがゴールを決めて勝利をあげたが、初戦でオーストリアを相手に2‐1で負けたために、勝ち点がオーストリア、ブラジルより1点少なく、敗退が決まった。
- オランダは、グループ4でペルー、スコットランド、イランとと同組で、1勝1分けでグループ内を二位通過した。セカンドステージで、ドイツ連邦、イタリア、オーストリアと対戦する必要があり、再び、グループ内トップで通過し、決勝まで進出し、バルサの選手、ニースケンスにとっては二度目のワールドカップ決勝参戦だったが、延長戦の末、アルゼンチンを相手に再び、陥落することになった。
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