歴史

フットサルセクションの歴史

フットサルセクションの正式な設立は1978年9月でした。 しかし、その2年前からバルサのシャツを着たチームはすでにありました。元プロフットボール選手たちが集まってフットサルマッチを始めたのです。 ちょうど、1970年代後半にカタルーニャでフットサルが人気を集めるようになったときでした。 初の公式トーナメントは、バルサが優勝した「クリスマスカップ」です。


順調なスタート 
1978年9月、FCバルセロナはこの新しいセクションを正式に発足させて、カタルーニャ3部リーグに加入しました。 FCバルセロナは素晴らしいスタートを切り、最初のシーズンで昇格を果たします。 その後も急速に前進を続けました。 1979-80シーズンには、2部リーグから1部リーグに昇格。 1部リーグに加わっても順調で、強豪チームに囲まれる中、最初の2年間で1度優勝を果たしました。


大幅な再構築 
次のシーズンには、理事会がフットサルセクションの解散を決定しました。 その4年後、国内リーグの構成が変更されオナー・ディビジョンが創設されると、フットサルセクションが再度編成されました。 またしても、始まりは順調でした。 1987-88シーズン、バルサは国王杯で優勝し、翌年もタイトルを保持しました。 次の1989-90シーズンに、FCバルセロナは初のヨーロッパタイトルであるヨーロピアンカップウィナーズカップを獲得。 パラウ・ブラウグラナで行われた決勝で、バルサはイタリアチャンピオンのACローマを3-1で破っています。


苦難のとき 
3年間素晴らしい成績が続いた後(バルサは続く2シーズンは3位、1993-94シーズンは準決勝に進出)、チームは下降線をたどり始めます。 これには財政的な要因が大きく関係しており、クラブはフットサルの予算を大幅に削減し、チームはユースシステムで育った選手たちで構成されていました。 これら若手選手の奮闘にもかかわらず、バルサは1997-98シーズンに降格してしまいます。 下位ディビジョンで2シーズン戦った後に昇格を果たしますが、わずか3シーズン持ちこたえただけで、2002-03シーズンには再度降格となりました。


3度目の正直 
この時期、バルサは1部リーグへ復帰するために苦闘していました。 チャビ・クロサス監督のもとレギュラーシーズンを2位で終え、プレーオフ1回戦でアレナス・ガルダルに勝ったものの、最終的にはムエブレス・カロトに敗退しました。 そして翌年、事態はさらに悪くなります。 シーズンでは素晴らしい成績を残しグループBで首位となりましたが、クロサスのチームはヘステサ・グアダラハラの前に衝撃的な敗北を喫しました。 バルサがオナー・ディビジョンにようやく復帰したのは、決戦となったカナリー・アイランダーズ・ガルダルとのプレーオフを制した、次の2005-06シーズンでした。


昇格とプロ化 
しかし、その後の道は平坦ではありませんでした。 元バルサの選手たち、カタルーニャ人監督、バルサの技術委員マルク・カルモナをコーチとして擁するバルサは、所属するグループの2位となってプレーオフに進みました。 エンドシーズンマッチの1回戦ではグルポ・ピナール・コルドバに余裕で勝利しましたが、次のコレヒオス・アレナス・ガルダルとの対戦ではかなりの苦戦を強いられます。 カタルーニャでの第1戦を2-2で引き分けたバルサは、カナリア諸島で行われる難しい第2戦にすべてを賭けました。 バルサを待ち受けていたのは敵意に満ちた会場の雰囲気でしたが、それを颯爽と切り抜けたバルサは、5-4という劇的なスコアで昇格を果たしました。 

チームがトップディビジョンに復帰したことを受けて、新しい理事会がクラブの運営を担うようになってから温めてきた構想の1つを実現するときが来ました。このチームをフットサルのエリート集団にするのです。 フットサルセクションは直ちにプロ化され、新しいスポンサーとして、モバイル通信企業ライワのブランドであるセンセイトが経済的支援を行うことになりました。 クラブは、ハビ・ロドリゲスをはじめとするフットサル界のビッグネームの獲得も決定。 スペインフットサルのベストプレーヤーで、代表チームのキャプテンを務めるロドリゲスは、この新しいチャレンジにやりがいを感じ、9年間プレーしたクラブ、プラジャス・デ・カステジョンを離れ、大きな将来性のあるプロジェクトのリーダーとなったのです。 最初のシーズンの目標は、最高レベルのフットサルという厳しい世界で生き残り、スペインフットサルのトップカテゴリーでクラブのポジションを確立することでした。

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