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ここ30年間に渡って、アムステルダムとバルセロナの間には、サッカーコネクションが出来上がっている。今までトータルで20人もの選手がアヤックスとFCバルセロナのユニフォームをまとっている。そのリストには、ヨハン・クライフのような歴史に残る選手やパトリック・クライファート、スラタン・イブラヒモビッチといったストライカーまで揃っている。

最初は70年代

 まさに ヨハン・クライフ が両方のユニフォームを着た最初の選手となった。70年代のクラックは、FCバルセロナに1973年の夏に移籍するために、アヤックスを去った。その後、クライフはバルサでドリームチームを率いることになり、アヤックスのユースカテゴリーで1988年まで育った息子のジョルディも選手として加入する。また、同朋のヨハン・ニースケンスもアヤックスを出て、バルセロナに移籍している。

3番目はビチュヘ

それから、再び、アヤックスとバルセロナの交流が行われるまで、15年間を必要とした。その関係が戻ったのは、アムステルダムに1991年までいたリチャード・ビチュヘ aのおかげだった。ビチュヘは、 カンプノウで2年間、プレーした。その後、再び、アヤックスのユニフォームを着てプレーし、二度に渡ってオランダのクラブでプレーした。

90年の終わり、オランダ人選手の盛挙

バルサにおけるオランダのビッグ 'ブーム' は90年代の終わりに訪れた。ベンチにルイス・フアン・ハールを据えたカンプノウには、ウインストン・ボガルデ、フランクとロナウド・デ・ブール、ミヒャエル・レイシハー、パロチック・クライファートなどがアヤックス経由でやってきた。このラインには、フィンランド人選手のジャリ・リツマネンほか、2000年には、マルク・オフェルマルス、 2004年には エドガー・デイビッツらが、フランク・ライハールトの指揮の元、やってきた。

最近では、 マックスウェルとスラタン・イブラヒモビッチも、アヤックスでの経験を経て、FCバルセロナにやってきた。

逆方向

バルサで最初にプレーして、それからアヤックスに移籍した例は、逆の例に比べると少ないが、その最初のケースが1994年までバルサの選手だった ミヒャエル・ラウドルップだ。その後、アヤックスで 1997/98年までプレーした。その他には、 ルジェ・ガルシア、があぶり、オレゲル・プレサス、レンタル中のイサック・クエンカなどがバルサの過去を背負って、アムステルダムまで飛んだ。1週間前にレンタルされた ボジャン・クリキッチ がこの両者における最後のコネクションだ。

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