バルトメウ会長から、ヌニェス氏への手紙

バルトメウ会長から、ヌニェス氏への手紙

ジョセップ・マリア・バルトメウ現クラブ会長から、 1978 年から2000年まで務めたジョセップ・リュイス・ヌニェス元会長への手紙

今日、私たちのクラブの理学を変えた偉大なバルセロ二ストを私たちは、失いました。バルサで22年間、会長職を務めた人、ジョセップ・リュイス・ヌニェス氏が、本日、逝去しました。その思い出を通して、私たちの歴史に素晴らしい時期をもたらしたその時間と思いをしばし、再現したいと思います。

彼が会長の座についたのは、 1978年の最初の民主選挙がもたらした賜物でした。ジョセップ・リュイス・ニュニェスは、あらゆる視点から、非常に難しい時代にクラブと出会いました。カタルーニャは、政権の変化に伴う希望と経済不況の間で変遷を迎えており、経済不況は、バルサにも国にも影響していました。

しかしながら、彼の勝てるバルサを目指すプロジェクトを現実にしたいというオブセッションが、現在のバルサの基礎となる新たなマネージメントコンセプトを植え付けることになりました。彼は、組織を管理するニュースカテゴリーを高め、サッカーのオーディオビジュアルの権利は、クラブに支払われるべきだということを明確にした第一人者でした。

彼と共に、私共の財産は、例外的な飛躍を見せることになりました。その周囲も含めた上でのカンプノウの拡大と向上、ミニスタディの建設。そして、現在、私たちの伝説の一部となった、本物のスタイルに忠実な多くの選手たちがそこで育ち、飛び立っていった場所、マシアの誕生。ジョセップ・リュイス・ヌニェスには、はっきりと見えていたのです。バルサの将来は、エクセレンシーとイノベーションから、地元での才能を育むことだとわかっていたのです。

同時に、ニコラウ・カサウスが、副会長として、友人として、付き添い、ソーシャルエリアは、過去にない成長、発展を遂げました。圧倒的なソシオの数の増大、ペニャのムーブメントの拡大は、カタルーニャという枠を大きく超えたものとなりました。

しかしながら、ジョセップ・リュイス・ヌニェスは、とりわけ、バーゼルで79年に行われたウイナー図カップの決勝に3万人のバルサファンを筆頭して、引き連れていった会長でもありました。我々の最初の欧州杯は、あの1992年、ウェンブリーでヨハン・クライフがベンチに、ドリームチームがピッチにいた時に制覇したものですが、彼が会長としてクラブをおさめている間、バルサは、そのメンタリティを勝者のものに変えていったのです。それも、サッカー界のみならず、あらゆるプロのスポーツエリアで。なぜなら、ヌニェス会長は、FCバルセロナの複合スポーツ性を深く、自然な形で信じていたからです。

クラブ100周年の会長として、私たちのミュージアムを推進したことも思い出します。陰ながら、目立つことなく、最後まで、クラブとチームを支えていました。彼の人柄、良きアドバイスや地道な忍耐力などを私たちは、恋しく思うことでしょう。

会長、あなたの遺産に深く感謝します。

2018年12月3日、バルセロナ         

FC バルセロナ会長、ジョセップ・マリア・バルトメウ

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