セルジーニョ・デスト、FCバルセロナ初のアメリカ人選手

セルジーニョ・デスト、FCバルセロナ初のアメリカ人選手

バルサの右サイドバックは、アメリカ人の父親とオランダ人の母親の間に生まれ、2019年からアメリが代表選手としてA代表でプレーしている

2019年10月19日に、19歳の誕生日を迎える6日前に、セルジーニョ・デストは、人生を変える決定を下した。フルバック選手は、オランダとアメリカの国籍の間で決定を下す必要があった。それまで、U-21及びユース代表レベルでは、アメリカ代表としてプレーしており、インドで2017年に行われたU17ワールドカップでは、バルサBのフアン・ミランダフェラン・トーレス、エリック・ガルシア、フィル・フォーデンと対戦している。 

アムステルダムから30キロほど離れたところにあるアルメレの町で生まれ育ったにも関わらず、デストは、最終的に「センチメンタルな」理由から、アメリカ合衆国を代表することを洗濯した。「僕は、オランダで育ち、世界最高峰の選手がプレーしたオレンジでプレーすることを知っているが、フィーリングで決めた」とデスト誰よりも先にオランダ人コーチにそう告げたことを明かした。

当時、オランダ代表チームを請け負っていたそのオランダ人コーチこそ、彼の所属チームとなるFCバルセロナの元監督であるロナルド・クーマンその人だった。「彼は僕の決断にがっかりしたと言ったが、僕の決断を理解してくれた。その日の終わりに、僕は、自分の残りの人生を決定し、うまくいってもいかなくても、それと共に行きていく僕の決断を下した」とデストは昨年の10月に説明したが、その時点で彼はすでに親善試合で、アメリカ合衆国のA代表でプレーしていた。

現在、ほぼ1年後、セルジーニョ・デストは、FCバルセロナのトップチームの一員として、クラブ史上初のアメリカ人選手となる。

最初のデビューは、コンラッド・デ・ラ・フエンテ

とはいえ、もう一人、アメリカ人選手がおり、デストの前に親善試合ですでにデビューを果たしている。9月12日、現在、バルサB所属のコンラッド・デ・ラ・フエンテがナスティック・タラゴナとの対戦で、トップチームデビューを果たした。その4日後、再び、勝利をあげたクーマン時代2度目の親善試合、ジローナとの対戦でも、トップチームでプレーしている。

 

Força Barça
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