ミラレム・ピャニッチについて知っておくべき10のこと

ミラレム・ピャニッチについて知っておくべき10のこと

バルサ史上二人目のボスニア人選手について、知っておくべきことをさらってみよう

ミラレム・ピャニッチ は、バルサの新加入選手となり、2020/21年から、バルサのチームを補強することになる。この新選手について、更に知るために、ボスニア人選手について知っておくべき10のことを下記にまとめた。

1) 1990年4月2日生まれ 1989/90年国王杯決勝のちょうと3日前であり、この試合でバルサは、ギジェルモ・アモール、フリオ・サリーナスのゴールのおかげで、レアル・マドリードを2-0で制したのだった。

2) ピニャッチは、ユーゴスラビアリーグ3部の選手だった父親ドリナ・ゾルニックのおかげで、サッカーを始めた。ボスニア戦争が勃発する寸前、父親はルクセンブルグのセミプロのチームと契約にこぎつけ、まだ、当時、赤ん坊だったミラレムと妻と共に危険から逃避することができたのだった。

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3) ミッドフィルダーは、ユースでプレーしている間、ルクセンブルグユース代表でプレーしていたが、最終的にボスニア代表のキャリアを選んだ。現在、史上ランキングで3番目に多くボスニア代表でプレーした選手(92)であり、ゴールランキングでは6位だ (15)。

4) ピャニッチは、チャンピオンズリーグデビューをバルサとの対戦で果たしている。’2009 年2月24日、オリンピーク・デ・リヨンのユニフォームを身につけ、16強第一レグでプレーした。試合は、フランスのスタジアムで 1-1 に終わったが、その後、カンプノウでの第二レグは、バルサが5-2と試合を制した。

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5) サッカー選手としてのキャリアで、ピャニッチは、バルサと7回、対戦している。リヨンと1回、ローマで2回、ユベントスと4回だ。その内訳は、1勝3分3負だ。 

6) クラブ史上において、二人目のボスニアヘルツェゴビナ生まれの選手だ。彼の前に 1995/96年に獲得した選手に、メホ・コドロがいる。

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Foto: nfsbih.ba

7) キャリアを通して、バルサの選手の何人かと重なっている。ローマに2011年の夏、ローマに正式に移籍する前に、オリンピーク・リヨンでプレーした際に、若かったユムティティと重なっている。ローマでは、ボジャン (2011/12)、ケイタ (2014/15-2015/16)と共にロッカールームを過ごした。ユベントスの初年は、ダニ・アウベス、ネトと同じチームだった (2016/17).

8) ピャニッチは、メッツで背番号 '33' 番でスタートしたが、すぐに '15'番をつけた。リヨンでは、最初の年、 '18' 番を選んだが、その後、残りのシーズンは、 '8' 番をつけていた。ローマでは、再び、 '15' 番をつけ、ユベントスでは、4シーズンの間、 '5' 番をつけていた。

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Les darreres quatre temporades Pjanić ha portat el dorsal '5'. Foto: Juventus

9) 2013年8月に、最初で現在、唯一の息子、エディンが生まれた。

10) レオ・メッシと共に、バイエルン・ミュンヘンのセルジュ・ニャブリ、 スコット・マクトミナイ、ピニャッチがウイニングイレブン(Pro Evolution Soccer) 2.020の表紙を飾った。

Força Barça
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