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2015年、優勝杯を持ち上げるブラボ / CA2015

南アフリカフットボールチャンピオンシップ、現在のコパ・アメリカは、世界で最も古い国際大会だ。今年の夏はアメリカ合衆国がホストとなり、過去に様々な形態で行なわれてきたこの大会の百周年を祝う。

FCバルセロナ視点から見れば、クラブからの代表選手が参加するようになったのは、1990年代も遅くなってからだ。それ以前は、アトランティックの海を渡ってプレーするのは、ワールドカップの時のみと限られていた。コパ・アメリカは、大抵、ヨーロッパのクラブシーズンと重なって開催されるため、旅程を組むのは、不可能だった。  

早い

とはいえ、この大会はラテンアメリカに潜む才能ある選手を見つけ出すのに、最も有効な手段だった。実際、何人かの選手は、バルセロナへトランクをまとめてやってきたが、その最も最初の選手は、フォワードのエクトル・スカローンであり、1926年に四度目の優勝杯をウルグアイと共に持ち上げた後、すぐにバルセロナへやってきた。それから10年後の1935年、別のウルグアイ人選手、エンリケ・フェルナンデスが国にタイトルをもたらした後、バルセロナにやってきた。

1953年にパラグアイが初めて優勝し、当時、最もビッグスターだった選手、メラビオ・オルメドをバルセロナは獲得した。 1955年のパラグアイ代表からは、更に二人がバルサの目に留まった。エウロヒオ・マルティネスとエルメス・ゴンサレスだった。この二人の大会での印象は強く、後にFCバルセロナのユニフォームを纏うことになった。また、 その数ヶ月後の1959年にブラジルと共に台頭したエバリストが、更に1959年にペルーと6試合に参戦し、5得点を決めたミゲル・ロアイサがやってきた。

1975: を画したソティル

バルサに所属しながら、この大会に初めて選手が出場したのは、1975年だった。それだけでなく、優勝を手にしたのだ。ペルーは、カラカスでの決勝で戦い、ウゴ・ソティルは、その試合に参加するための特別な許可をクラブから与えられた。空港から、急いで向かったウゴは、既に残りの選手がウォーミングアップをしているスタジアムに到着し、試合に間に合った。

[[DES_1]]  だが、それだけの努力の価値があった。クライフとニースケンスは、この外国人アタッカーに、全大会を通して殆どプレーチャンスを与えず、結局、彼が決めた唯一のゴールは、コロンビアを前に決めたゴールのみであり、それが今のところ、ペルーが最後に優勝した時の決定弾となった。

1997年と 1999: バルサとブラジル

ボリビアで1997年に行なわれたコパ・アメリカの大会まで、バルセロナからは、代表する選手が出なかった。ここでの二大会には、ジョバンニとインスピレーションあふれるロナウド(この直後、インテル・ミランに移籍)がいた。また、この大会では、既にバルサの選手ではなかったが、ロマリオがブラジルをタイトルに導くべく、6試合に参戦し、活躍をみせた。

バルサに所属している選手として、コパ・アメリカで最も優れた活躍をみせたのは、リバウドかもしれない。1999年パラグアイにて、ブラジルと共にタイトルを守った。彼は、ブラジル代表ではパフォーマンスが落ちるといった周囲の批判に沈黙で答え、5得点(ロナウドと並び)を決め、大会の最多得点王となり、MVPを受賞した。

ゴールキーパーのロベルト・ボナノは、2001年、コロンビアで行なわれたコパ・アメリカでバルサの選手として参戦したが、アルゼンチンは、セキュリティ上の懸念から、土壇場で欠場を決めた。一方で、その年のブラジル代表は、3人の選手、ベジェッティ、ロッチェンバック、ジョバンニが引っ張っており、直後にバルサの選手となった。メキシコ代表と共にプレーしたラファ・マルケスも同様であり、その後の二年間は、マルケスはバルサの選手としてコパ・アメリカに戻ることになった。

2004 年、 2007: 更にブラジルに二人

2004年、リマで行なわれた決勝で、ブラジルはアルゼンチンをPK戦で破った。 当時の監督、カルロス・アルベルト・パレイラは、バルサのスーパースター、ロナウジーニョを招集しないという実験を行なった結果だった。だが、この勝者のメダルは、当時、19才だったアドリアーノ・コレイアの胸に輝いた。当時はコリティバに在籍しており、1試合も出場することはなかった。

もう一人の将来のバルサのスター選手は、当時、リベルプレートに所属していたハビエル・マスチェラーノだった。また、バルサから公式的にモナコにレンタル移籍が決まったハビエル・サビオラもいた。

また、ロナウディーニョは、ベネズエラで行なわれた2007年のコパ・アメリカも疲労その他を理由に欠場したが、そこでもブラジルは再び、決勝でアルゼンチンを負かして勝った。当時、セビージャにいたダニ・アウベスが3点目を決め、3-0でブラジルは勝利をあげた。決勝で負けたチームには、ガブリエル・ミリート、そしてバルセロナから大会のベストヤングプレーヤーに選ばれた20才のレオ・メッシが参加していた。同様にマスチェラーノもいたが、当時はリバプールに所属していた。

2011: スアレスにゴールド

2011年、アルゼンチンは 母国でプレーし、そのチームには、バルサでチームメートとなっていたメッシ、マスチェラーノ、ミリートが参戦していた。だが、開催国のアルゼンチンは、ベスト8でウルグアイを前に破れ、そのウルグアイには、マルティン・カセレス(バルセロナからセビージャにレンタル移籍)と当時、リバプールでプレーしていたルイス・スアレスがいた。ウルグアイは15回目のタイトルを手にし、スアレスは、MVPに選ばれた。

また、アドリアーノ、ダニ・アウベス、そして、将来のバルサのスター選手となるネイマールJrが、ブラジル代表にいたが、パラグアイの手により、早々に敗退した。2011年、チリにとっては、ベネズエラにベスト8で破れるという出来の良くない大会だったが、この中にバルサの将来の選手が二人、含まれており、次のコパ・アメリカで成長して戻ってくることになった。

2015: ブラボー、チリ

アレクシス・サンチェスは、2015年チリ開催のコパ・アメリカでは、既にアーセナルを離れていたが、バルサからは、この年、決勝でメッシやマスチェラーノのいるアルゼンチンを破り、母国で優勝することになるクラウディオ・ブラボがいた。

現在、バルサにいるルイス・スアレスは、FIFA の処罰により、参戦できなかった。一方、ネイマールJrは、ブラジル対コロンビア戦の後、残りの試合に参戦できなかった。ダニ・アウベスが再び、招集されたが、ブラジルはパラグアイを前にPK戦で破れることになった。

バルサでプレーしながら、大会に参戦した他の選手リスト

ハシント・ビジャルバ (パラグアイ 39)
ダゴベルト・モル (ウルグアイ, 49)
アルシデス・シルベイラ (ウルグアイ, 59)
カジェタノ・レ (パラグアイ, 59)
フアン・セミナリオ (ペルー, 56, 57, 59)
ロベルトディナミータ (ブラジル, 75, 79, 83)
ディエゴ・マラドーナ (アルゼンチン, 79, 87, 89)
フリオ・セサル・ロメロ (パラグアイ, 79*, 83, 87)
マウリシオ・ペレグリーノ (アルゼンチン, 97)
フアン・ロマン・リケルメ(アルゼンチン, 99, 07)
フアン・パブロ・ソリン (アルゼンチン, 99, 04)
ジョバンニ・ドス・サントス (メキシコ, 11)


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