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練習中のボジャン FOTO: MIGUEL RUIZ-FCB.

FCバルセロナとストーク・シティは、ボジャン・クリキッチの移籍で合意した。新しい環境への必要書類の準備を残すのみとなった。

FCバルエロなは、将来的にストーク・シティが選手を売却する際に参加する権利を有している。 

FCバルセロナは、公にボジャン・クリキッチがここ数年、クラブで過ごした期間に示したそのプロフェッショナル性とクラブへの貢献に深く感謝の意を示し、将来の最大の幸運を願うものである。 

芽が出るのが早かったゴールキング

バルサとの全人生を共に歩んだ後、ボジャン・クリキッチはクラブに別れを告げることになった。ボジャンは常に同年代の選手より一歩先を歩いており、クラブ史における全カテゴリー中で最高得点王の一人であった。バルサの下部カテゴリーにいる間、400ゴール以上をマークした。また、バルサにおける最高のクラックとロッカールームを分かち合い、常に成長を目指していた。ボジャンは最初はエトーとその後、イブラヒモビッチ、そしてメッシと攻撃のセンターでポジション争いをしなければならなかった。スタメンのイレブンの固定メンバーではなかったが、トップチームに在籍している間(2007-11)、26ゴールを決めた。 
  
また、  ボジャンの早期から芽を出したその実力は、あらゆる記録の先達となった。たった16才で、フランク・ライハールトの手により、エジプトのアル・アリとの親善試合でトップチームデビューを果たした。試合の最中、そのゴール嗅覚を見せつけ、チームの2点目を決めた。だが、最初の公式ゴールを決めたのは、2007年10月21日のビジャレアル戦だった。ボジャンはまだ17才と51日を過ぎたばかりであり、メッシの記録を乗り越え、リーグ戦におけるバルサ史で最も若くして得点を決めた選手となった。チャンピオンズリーグでも同様だった。シャルケ04の前にゴールを決め、また、2008年までチャンピオンズリーグにおいて最も若くしてゴールを決めた選手ランキングの2位だった。

トップチームで4年間

ライハールトは、ボジャンに賭け、ボジャンはライハールトがベンチに座った最後の年、 2007/2008年で非常に目立つ活躍をした。その若さにもかかわらず、48試合に出場し、12ゴールをマークした。だが、その後、3年間は少しずつ、減っていった。とはいえ、2008/2009年の国王杯 -3冠を得た年-では、鍵となり、また、 2009/2010年のリーグ優勝では、ビジャレアルやセビージャに大事なゴールを決めて貢献した。 

2010/2011年に7ゴールを決めた後、ボジャンはレンタル移籍を始め、最初はルイス・エンリケが率いていたローマへ、その後、ミランへ行き、更にアヤックス・アムステルダムーリーグ優勝を制したーで過ごした。今回はストーク・シティに行き、そこで丸ク・ムニエサと再開することになる。 

そして今、ボジャンはクラブに別れを告げることになった。バルサでの4年間のキャリアで、国王杯 (2009)、リーグ優勝3回 (2009, 2010,2011)、チャンピオンズリーグ2回 (2009, 2011)、スペインスーパー杯2回 (2009,2010)、欧州スーパー杯 (2009)、クラブワールドカップ (2009)を獲得した。

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