1982-1986: バルサの選手が鍵になったワールドカップ(IV)

1982-1986: バルサの選手が鍵になったワールドカップ(IV)

バルサ的観点からサッカーW杯を振り返るスペシャルシリーズ第4弾

ブラジルW杯に向けてカウントダウンが始まった。バルサの選手を鍵としたバルサ的視点から振り返るW杯について、今回は、カンプノウがワールドカップの会場となった1982年、そしてゲイリー・リネカーがバロンドールを獲得した1986年を振り返る。

スペイン1982

-1982年6月13日、当時世界チャンピオン代表だったアルゼンチンとベルギー代表がワールドカップの開幕戦をカンプノウで行なった。 その試合を95.000人もの観客が観戦した。 

- カンプノウでは、開幕戦以外に4試合が行なわれた。ポーランド-ベルギー(6月28日, 3 - 0), ベルギー-URSS (7月1日, 0 - 1),  URSS-ポーランド (7月4日 0 ー 0)そしてイタリア-ポーランド (7月8日, 2 − 0)戦だった。

- 当時、バルサからは二つの代表に6人の選手が参加していた。スペイン代表には、ウルッティ、アレチャンコ、ペリコ・アロンソ、サンチェス、キニ、アルゼンチンからはマラドーナがいた。 

- スペイン、アルゼンチンとも大会のセカンドステージで敗退したが、フォーマットは現在とは異なっていた。

- ワールドカップの少し後、1982年8月24日に、カンプノウは拡張され、新たにオープニングし、12万人の観客が収容できるようになった。

メキシコ 1986

-バルサからは3代表から8人の選手が選出された。スペイン代表には、スビサレタ、ウルッティ、フリオ・アルベルト、ビクトル、カルデレ、カラスコが参戦し、イギリスからはゲーリー・リネカー、スコットランドからスティーブ・アーキバルドが参戦した。

-ゲーリー・リネカーは、ワールドカップの前にエバートンからバルサに移籍することでサインしていた。この大会で、最多得点王となり、6ゴールを決めたが、イギリスはアルゼンチンを前にベスト8で敗退した。

- バルサのもう一人のイギリス人アタッカー、スティーブ・アーキバルド は、この大会でスコットランドと共に1試合のみの参戦となり、無得点に終わった。

- スビサレタ、ビクトル、フリオ・サリーナスはスペイン代表と共に、スタメンで5試合参戦した。

Força Barça
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