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Marinho i Giovanni

FCバルセロナの長い歴史を通じて、ネイマールと同じ道程をたどってサントスFCからFCバルセロナにやってきた選手は、たった二人しかいない。それがマリーニョとジョバンニだ。とはいえ、バルサにくっきりとその足音を残したのは、二人のうち、ジョバンニだけだった。

マリーニョ、 彗星のクラック

1974年の夏に マリオ・ぺレス‘’マリーニョ' がそのキャリアの甘い時間を過ごすためにバルセロナにやってきた。27歳だったディフェンスは、ドイツワールドカップで、ブラジル代表のキャプテンであり、そのプレービジョンといかにもブラジル人らしい秀逸なテクニックで際立っていた。また、その空中プレーを利用して、攻撃に参加し、ヘディングシュートを決める能力もあった。ペレのサントス出身であり、マリーニョはクライフのバルサに外国人枠を占めることなくやってきた。母親がスペイン人なので、スペイン人とみなされたためだ。 にもかかわらず、スペインサッカー協会は、11月中旬まで、FCバルセロナと公式試合に出場することを許可しなかった。

だが、その前評判ほどに活躍することができず、1976年にインテルナシオナル・デ・ポルト・アレグレに移籍した。37試合に出場し、6ゴールをマークしたが、タイトルはとることなく去った。とはいえ、最初はペレを次にクライフをチームメートとして共にプレーしたそのキャリアは歴史の残るものだろう。

ジョバンニ、攻撃におけるファンタジー
1994年にペレは、素晴らしいクオリティを有した若いトップ下の選手に目を付けた。彼の名前がジョバンニ・シルバであり、当時、ブラジルのサウカルレンセでプレーしていた。 ペレは時間を無駄にすることなく、すぐにサントスに獲得した。そこで見事に開花したジョバンニは1995年には、ブラジルのMVPに選ばれるまでになった。ペレによって、ジョバンニはその後継者となり、バルサは1996年の夏にジョバンニを獲得し、ルイス・エンリケや同朋のロナウドと共に組ませて、ファンタジーあふれる前線を作り出した。

ジョバンニはバルサの選手として3年間をすごした (1999年にオリンピアコスに移籍) その期間は、バルサにとってもメリットのあるものだった。その間、バルサは二度のリーグ優勝と国王杯、スペインスーパー杯にカップウイナーズ、欧州スーパーカップを制覇したのだった。バルサの選手としては138試合に参戦し、40ゴールを生み出した。一部のゴールは決定的な役割を果たし、 1997/98年のベルナベウでのクラシコで2-3とバルサに勝利をもたらすゴールも決めた。

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