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過去のアスレティック-バルサ戦 FOTO: ARXIU FCB.

1913年の8月21日に生まれた伝説的なスタジアム、サン・マメスは、今年の夏に消滅するため、最後の残された時間を過ごしている。 今週の土曜日、行われるアスレティック対ビルバオ戦は、‘カテドラル’で行われる両者最後の対戦となる。この長い歴史を通して、様々なエピソードが生まれてきたそのベスト10をここに紹介する。

1. サン・マメス最初のアスレティック-バルサ戦
バルサがサン・マメスで最初に行なった試合は、1915年1月31日まで遡る。親善試合で、結果は1-1のドローに終わった。ゴ0るを決めたのは、当時の伝説的な最多得点王ラファエル・モレノとマジョルキだった。

2. バスク人と化したサストレ
1928年2月21日、バルサはアスレティックをサン・マメスで史上初めて、制した。そのゴールをきめたのは、バルサのFWジョセップ・サストレであり、チャンピオントーナメントの試合の出来事だった。興味深いことに、ビルバオの新聞紙は、ゴールを決めたバルサの選手がバスク人だったと報じられた。

3. わけありの大敗
1931年2月8日は、アスレティック・デ・ビルバオは、サン・マメスでバルサを前に稀に見る12-1で試合を制した。バルサの選手は、サバロ、マルディ、カスティージョ、ピエラ、サストレ、ゴビルル、アルナウ、パレラといった顔ぶれを揃えていた。チームは、リーグ戦のバルサ-アスレティック船では6-3で勝利を挙げており、そのリーグ戦は、あと勝ち点1で優勝というところで、アスレティック・デ・ビルバオに譲ることになった。この日、バルセロナの選手達は、幹部とぶつかり、意図的にリズムを落としてプレーしたのだった。

4. 気持ちを静めるためにブランデー
1950/51年の国王杯準決勝 のバルサ‐アスレティック戦は、心臓に弱い人には適宜な試合ではなかった。バルサは、16年間、サン・マメスで勝ち知らずだった。1935年3月31日のリーグ戦で、3-5で勝って以来だった。だが、その日、1951年3月20日、クバラのバルサは、ビルバオのプレッシャーに負けることなく、1-2で試合を制し、国王杯の決勝に進出した。バルセロナの抱えた苦しみは余りも大きかったので、試合が終了すると同時に、クラブ幹部はロッカールームに降りて行き、選手にブランデーをふるまったのだった。ブランデーは、マネージャーであるモデスト・アモロスが配給した。

5. 繰り返すことのできない素晴らしいチーム
‘シンク・コパス’(5冠)のバルサは、サン・マメスの鬼門を破った。リーグ戦が始まってから(1928/29) バルサはカテドラルを20回、訪ねたが、その成績は2勝18敗36得点81失点というものだった。サン・マメスでの鬼門は、1952年1月6日に0-3の大勝により、破られた。ゴールは、バソラ (2) とビラ が決めており、 ラマレッツの素晴らしいプレーが光った。この試合で、バルサは、アスレティックに初めて1点も得点させない快挙を成し遂げたのだった。興味深いことに、この日、クバラは負傷しており、プレーしていなかった

6. 片足ゴール
1955年5月29日、 バスク人DFカニートは、サン・マメスでバルサを相手に戦っていた国王杯の25分に負傷した。左サイドでプレーしていた彼は、50分にゴールを決めて、‘片足ゴール’の名前をつけられた。彼は足を引きずっていたが、一瞬、宙にういたボールを見逃すことなく、ラマジェッツを超えたのだった。

7. 鉄壁のイリバル
ホセ・アンヘル・イリバルは、1963 年から1980年の間、アスレティックのゴールを守っていた。サン・マメスで、チョポは長期間、バルセロナのFWにとって、超えることのできない鉄壁と化していた。実際、1970年1月18日のリーグ戦50分まで、バルサはカテドラルでイリバルを打倒すことができなかった。それを破ったのは、ルイス・プジョルであり、レシャックが蹴ったCKをアルフォンセダが触ったのを後ろから押し込んだ。そこに、チョポのバルサに対して、590分間、リーグ戦5試合、国王杯1試合で、無失点の記録がようやく葬られた。

8. 兄弟関係の両チーム
FC バルセロナとアスレティック・デ・ビルバオは、民主主義へ移行する時代に、素晴らしい関係を築いた。1976/77年、両チームは UEFA杯の準々決勝で1977年3月2日に対戦したが、カテドラルでバルセロナの選手の名前が呼ばれた時、スタンドは大拍手でそれを受け入れた。カンプノウで、その数日前にリーグ戦が行われた時に、バルサのサポーターも同じようにビルバオの選手の名前をスタンドに響かせたのだった。だが、80年代の間は、バルサとアスレティックの間に、深いなエピソードが生まれることが多かった。


9. ストイチコフのゴールから...
ウリスト・ストイチコフは、1991年3月10日、栄光の午後を過ごした。バルサがサン・マメスでビルバオを0-6で破った日、ストイチコフはそのうちの4ゴールをマークしたのだった。3ゴール目は、カウンターアタックの教科書にのるべきプレーだった。コーナーからのハイボールをクリアしたスビサレッタのクリアボールをスピーディに送り、ゴイコエチェアへロングパスを出し、ゴイコエチェアからストイチコフへ。それを受けたストイチコフは弾丸の如く、アンドリヌアとラカベグを潜り抜け、右ポストにぴたりと照準を定め、ゴールを決めたのだった。

10. ... ジョルディ・クライフのスーパーゴールへ
1995年の6月18日、アスレティックーバルサ戦が行われたサン・マメスの試合は、 1994/95年のリーグ戦最終節だった。77分にジョルディ・クライフは、見事な芸術作品を生み出した。自営のピッチからララサバルの位置までドリブルで突破し、そこから、力強いループシュートを放ったのだ。右サイドから力強く放たれたそのシュートは、エリアの前にポジションをとっていたバレンシアを抜けて、ゴールに突き刺さったのだった。


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