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1963年、カンプノウでサントスと対戦した試合でのペレ / FOTO: ARXIU FCB

今週の水曜日、6月12日は、ペレのサントスがカンプノウでプレーしてから50年目に当たった。1963年6月12日、バルサは 2-0で当時、インターコンチネンタル王者だったサントスを破った。

当時のサントス FC は、世界一のチームと考えられていた。実際、1962年のインターコンチネンタル杯 をベンフィカを相手に制したばかりであり、そのタイトルは翌年、1963年にも繰り返され、その祭は、ミランを破ってのタイトル制覇となったほどだった。サントスには、ビッグスターのエドソン・アランテス・ド・ナシメント‘ペレ’ (当時の世界一のプレーヤー)がスタメンでプレーしていた。また、ブラジル代表も 1962年 にワールドカップを制覇していた。そういった全てを含めて、1963年6月12日の夜は、バルセロナのサポーターにとっても、最高に待ち焦がれた夜となった。

プレーを上回った会場の雰囲気

85.000 人もの観客が カンプノウに集まった。それまで、スタジアムでペレのサントスは2度、プレーしたことがあった。一度目は1958年6月28日であり、サントスはバルサを前に1-5 と大勝した(そのうち、2点はペレがマーク ) が、バルサは控え選手を中心に戦っていた。二回目の試合は、 1960年7月2日 に行なわれ、その際はバルサも通常スタメンを配し、試合は4-3に終わった。この試合で、ペレは1ゴールを決めた。

試合前の開場の雰囲気は、祝祭にあふれていたが、試合自体の内容は、その期待にそうものではなかった。ペレにとって絶好調の日だったとは言い難かった。サントスはテクニカルプレーをみせたが、生産的なプレーではなく、一方、バルサはセオリーではサントスほど優れていないはずだったが、試合の最後にバルサに勝利をもたらすゴールを ペレダ (75分) と サバジャ (87分)がもたらした。バルサの監督ジョセップ・ゴンサルボ が配した選手は、以下の通り: サドゥルニ、ロドリ、ガライ、エラディオ、ベルヘス、エンデリス、クビージャ(サバジャ 56分)、ゴイバエルツ、モロジョン、レ (ペレダ56分) 、 フステ (スサライ 46分)

ペレ、人気沸騰大スター

結果はともかく、ペレは当時、たったの22歳でありながら、試合の中でも最も注目を集めたビッグスターだった。その日の試合ではいい内容を魅せることができなかったが、カメラマンのフラッシュは彼だけに向けられ、記者は世界サッカーキングの記事にどんな形容詞をつけるか(‘黄金の足’‘少年のハート’などの形容詞で紙面はあふれた)を競い合った。あらゆるヨーロッパのクラブチームがサントスを登記したいと願ったが、むなしい願いと終わり、ペレは1975年ニューヨークコスモスに移籍するまで、サントスを離れることはなかった。

その後のバルサ対サントス戦

ペレは、ラディスラオ・クバラ1960年 にカンプノウで対戦したことがあった。そのサイクルを終えるためには、ヨハン・クライフ との対戦が残っていたが、それは 1974年9月1日にカディスのラモン・デ・カランサ大会で実現することとなった。その試合でバルサは既に下火になっていたサントスを4-1 で下した。'O Rei'(オ・レイ) は、アメリカへ移籍する寸前だった。その数年後、1998年8月25日に サントスはジョアン・ガンペル杯に参戦した。試合は2-2と引き分け、その後、PK戦でバルサが勝利を収めた。

最後に両者が対戦した試合は、誰もがまだ、記憶に新しいだろう。2011年12月18日であり、日本で行われたクラブワールドカップの決勝だった。その試合でメッシのバルサは、4-0 ネイマールのサントス を下したのだった。その日のネイマールは「バルサで僕らは、サッカーとはどうプレーすべきかを学んだ」とコメントを残したのだった。


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