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カンプ・ノウの一角でジョセップ・マリア・バルトメウ、ジョルディ・カルドネルと記念写真に収まるミカエル・ウィッティ / GERMÁN PARGA-FCB

ミカエル・ウィッティは、FCバルセロナのクラブ創設から116年を迎えた11月29日、その象徴的な人物の一人であり祖父であるアルトゥーロ・ウィッティを誇りとともに振り返る。「祖父は創設すぐにクラブへ加わり、生涯を通じてクラブソシオの番号は2だった」。アルトゥールはアスルグラナ選手として1899年12月24日のFCカタラ戦でデビュー、勝利を飾った。またクラブ最初のタイトルであるマカヤ杯(1902年)、バルセロナ杯(1903)、カタルーニャ選手権(1904/05)を獲得。1899−1905年の間に74試合でプレーした。

彼にとって負けることを知るのは神聖なことであり、敗れたときには相手チームが上手だったと考えていた


元選手であり会長を務めた祖父の名前を示すミカエル・ウィッティ

ミカエル・ウィテッティは1905年10月6日まで746日に渡りクラブ会長を務めた祖父から設立当時のFCバルセロナの状況について話を聞いており、そ れは現在の‘バルサ’とは似ても似つかぬものだったと言う。「設立メンバーと最初の選手たちの大半はバルセロナに来たばかり外国人だった。祖父が現在のク ラブの姿を見たとしたらどう思うだろうということは説明することはできない。なぜなら現在のバルサの姿を信じることができないだろうから」「祖父ならメッ シのことをすごく気に入っていただろう。なぜなら彼にとってフェアプレーは最も大切なことだった。メッシと現在のチームを見ればすごく好きになっていただ ろうことは間違いない」

1900/01季のバルサ: 後列の左端がウィッティ

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