バルサの伝説、アントニ・ラマジェッツ逝去
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FCバルセロナ及びサッカー史の中でも、最も優秀な伝説的GKの一人、アントニ・ラモジェッツ・シモンが逝去した。ラマジェッツは、1946年から1961年の間、バルサのユニフォームを着て、473回、参戦した。 「翼を持った猫」の異名をとり、当時、世界一のゴールキーパーと言われており、おそらく、超える者がいれば、ソビエトのレフ・ヤシンのみと考えられていた。
1924念7月1日にバルセロナに生まれた。エウロパ、サン・フェルナンド、マジョルカでプレーし、1946-47年にFCバルセロナにやってきた。デビュー戦は、グラシアの祝祭戦で、1946 念8月15日のエウロパーバルサ戦(1-3)だった。
栄光の時代の偉大なGK
非常に大げさで人目をひくジェスチャーが多く、チームメートに指示を出し続けるキーパーだったが、非常に優秀なキーパーであり、チームメートを誰よりも守る人間性にも優れた人物だった。そのエレガントでありながら、非常に強固な守備力が、代表にも召集され、35回、代表出場し、ブラジルで行われた1950年のキーパーとなった。そこで、「マラカナのネコ」、「ハンサムなGK」の名前も受けた。
最も栄光に満ちた時代は、1951/52年のシンコ・コパス (リーグ、カップ戦、ラティーナ杯、エバ・ドゥアルテ、マルティニーロッシーニ)を収めた時であり、ラディスラオ・クバラを筆頭とする伝説的なクラブチームで成功を収めた。その翌年も成功を収め、その後、再び、エレニオ・エレイラの時代に再び、姿を現した (1958-60)
バルナの黒星で引退に
逆に最も運に恵まれなかったのは、ベルナでの欧州杯決勝 (1961)だった。バルサはベンフィカと対戦し、多くのチャンスを手にしながらも、3-2で負けを喫し、そのうち、1点はラマジェッツのオウンゴールだった。その翌年、ラマジェッツはスタメンの座を失い、引退を決めた。
1962年3月6日、ラマジェッツは37歳で別れを惜しむバルサファンのもとを去った。そのお別れの試合でバルサはハンブルグと対戦 (5-1)した。この最後の試合の日も、ラマジェッツは、いつものように、キーパーグローブを使わなかった。厚い彼の手には、GKグローブは必要なかった。
翼を持った猫と呼ばれたラマジェッツは、 誰もが羨むタイトルをバルサと共に制覇した : リーグ優勝6 (1947/48, 1948/49, 1951/52, 1952/53, 1958/59 、1959/60), カップ戦5 (1950 / 51, 1951/52, 1952/53, 1957/57 ,1958/59), エバ・ドゥアルテ杯2 (1948/49 y 1951/52), ラティーナ杯2 (1948/49, 1951/52) 、フェリアス杯 2 (1957/58 、 1959/60). 更に、スペインリーグで最も失点数の少なかったGKに与えられるサモラ賞 を5回(1951/52, 1955/56, 1956/57, 1958/59 . 1959/60)獲得した。
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