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クラブ以上の存在

ナルシス・デ・カレラス、自由主義でカタルーニャ主義の考えを持つこの男性が、1968年1月17日に行われた集会で、バルサの会長に選出された。ナルシス・デ・カレラスは、自由主義かつカタルーニャ主義の人物であり、1968年1月17日に集会でクラブ会長に選出された。彼の会長就任演説は、当時、法律で決められていたようにスペイン語で行われたが、彼の隣には、政府から送られてきた見張り役が座り、公でカタルーニャ語を話してはならないという禁を破らないように、また、誰もが「破壊的な」コンセプトを多くの恩恵を受け、クラブのアイデンティティとまで化したフレーズを伝えることがないように、警戒にあたった。だが、カレラスは非常に巧妙にその目をかいくぐり、後々、人々が多大な恩恵を受け、クラブのアイデンティティと化したフレーズを発することになるのである

ナルシス・デ・カレラスのフレーズ

演説の途中で、その時、政府官僚が腕時計を見ていたのかどうかは定かでないが、新会長がはっきりと以下のことを述べたことは確かだった。「バルセロナは、サッカークラブ以上の存在だ。バルセロナは日曜日にチームがプレーするのを見にいくためだけの場所ではない。そういった全てを超えたものであり、私達が内側に強く秘めているスピリッツであり、そういった全ての上に(クラブ)カラーがあるのだ」

表面的には、バルセロナファンが自分のクラブを愛していると言っているかのように聞こえるフレーズだったが、その内実は、別の解釈も含まれており、ここにバルサはスポーツクラブの枠を超えて、カタルーニャのシンボルと化し、同時に公で表現のできる唯一の場と化したのだった。

後から有名になった「クラブ以上の存在」

この表現は、最初の数年は葬り去られており、ハビエル・コマの発案で、カンプノウにてサッカーワールドデーが開かれ、欧州とラテンアメリカの代表同士が親善試合を 行なった1973年まで、再び、使われることはなかった。1973年10月にこのイベント用に、バルセロナのスポーツ紙にスペイン語で差し込まれた広告宣伝には、下記のように書かれていた。「バルセロナフットボールクラブの歴史とプロジェクトは、常にサッカークラブとしてのものがあり、スポーツ社会の論理を超えた感情的、文化的レベルも含めたつながりがある」 

数週間後、「私達は口に出す者:バルサは、クラブ以上の存在」(既にカタルーニャ語で)のスローガンが生まれた。時期バルサの会長選に向けて、アグスティ・モンタル・コスタが1973年の12月に使ったが、最終的にこのアイディアは打ち捨てられた。しかし、その時を境に「バルサはクラブ以上の存在」の表現は残り、世界中の人々がその意味を知るほどに、人口に膾炙した。

この数年で、このフレーズはクラブの公式スローガンとして、すっかり定着し、今では「クラブ以上の存在」は、あらゆるところに見られる。オフィスの壁、カンプノウスタジアムのスタンド、 ユニフォーム、ホームページなど、クラブレベルを超えた場所でも見られるようになり、その意味も広く知られ、表現自体もグローバルになった。 現在もバルサはクラブ以上の存在だが、もう、カタルーニャの象徴としてのみの存在ではなくなっている。バルサは、社会的な役割を手にし、崇高な目的のために互助活動を行なう存在であり、それはユニセフやUNCHR(国連難民募金)、ユニセフなどと協力し、FCバルセロナ財団につながっていることからも証明されている通りである。

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