バスケットボール

プロスポーツの中でも、最も重要性があり、多くのファンを誇るバスケットボールは、サッカーについで、バルサファンからの人気を博しています。

バスケットボールセクションは、1926年8月24日に設立されましたが、その30年後までカタルーニャで根付くことはありませんでした。市民戦争の後、FCバルセロナのバスケットは、1部でプレー (1940)し、そのコートは、ラス・コルツのグラウンドゴール南に隣接していました。バスケットが最高潮に盛り上がった時期は、40年代中盤であり、バルサは、州のバスケットで最高位に上り詰めました。

1958/59 の危機の時代を乗り越え、バルサのバスケットはスペインリーグ及び総統杯を制覇しました。その後、低迷期が続き、1971年、パラウ・ブラウグラナの建設も、セクションを活気づけることはできませんでした。1978年まで国内杯を手にすることができず、リーグ優勝制覇は、フアン・アントニオ・サン・エピファニオ‘エピ’、ナチョ・ソロサバル、チチョ・シビリオなどがプレーする22年後の1981年まで待たなくてはなりませんでした。

FC バルセロナは、 1984/85年に、ザルギリス・カウナス(77-73)を相手にレコパ(カップウイナーズ)を制覇し、初の欧州杯を制覇し、その1年後、イタリアのスカボリニ(101-86)を制して、再び、タイトルを獲得した。

20世紀の終わりに、アンドレス・ヒメネス、アウディエ・ノリス、エピのジェネレーションが、後のフアン・カルロス・ナバロ、ロドリゴ・デ・ラ・フエンテ、ロベルト・ドゥエニャス、パウ・ガソルへの世代へ道を開きました。10年間の間、バスケットセクションは、80年代に制覇した高みを維持し、4回のリーグ優勝、3回の国王杯、コラッチ杯1回を獲得しました。

ヨーロッパレベルでの決定的な知名度は、2002/03年に訪れました。当時のバルサは、デジャン・ボディロガ、サルナス・ジャシケビシウス、ナバロ等を筆頭に、決勝で、トレビソのベネトンを制し、ユーロリガを満員のパラウ・サン・ジョルディで手に入れたのでした。

その時から、バスケットボールセクションは、欧州のエリートでい続けており、2009/10 年のシーズンには、二度目の欧州杯を手にしました。パリで行なわれたファイナルフォーの当時のチームは、フアン・カルロス・ナバロ、リッキー・ルビオ、エラゼム・ロルベックなどで構成されていました。

ハンドボール

ハンドボールセクションは、1943年11月23日に公式に設立されました。とはいえ、30年代からバルサがプレーして来たのは、親善試合のみでした。

このスポーツは、サッカーグラウンドで11人の選手によってプレーされており、現在のように室内にて、7人の選手でプレーする形式になったのは、50年代になってからでした。

ハンドボールにおける成功は、すぐに訪れました。40年代に3シーズン連続で、カタルーニャとスペインのチャンピオンシップで二冠を手にし、その後、49年、51年に再び、二冠を制覇しました。50年代に、バルサはカタルーニャチャンピオンシップを4回、スペインチャンピオンシップ1回を獲得しています。

7人の選手で行なわれていた最初の形式での成功の後、室内競技としては、60年代の終わりまで、成功しませんでしたが、パラウ・ブラウグラナの建設と開設により、FCバルセロナのプロセクションに最も大きな独自の競技場ができ、新形式を根付かせるのに一役買いました。

1984年にチームの技術担当として、バレロ・リベラがやってきました。二十年間の間、バルサは、スペイン国内でも欧州でも、数えきれない成功を手にしました。FCバルセロナは、スペインハンドボールにおいて、1987 年から1992年までリーグで連続優勝を果たし、更に y cinco más de 1995年から2000年まで、5回優勝を果たし、その他に, 2000年まで国王杯を9回制覇し、数々のタイトルを手に、ハンドボール界をリードしました。

バルサの覇権は、スペインのみならず、大陸レベルにも拡大しました。セラノとサガレスが率いるチームは、80年代に3回連続でレコパを制覇し、1991年には、最初の欧州杯を獲得し、90年代に二回連続で、レコパを手にしましたが、全盛期が、訪れたのは、更にその後でした。1996年から 2000年まで、バレロ・リベラは、5連続で欧州杯を制覇しました。過去にないこの記録はいまだに破られていません。

‘ドリームチーム’ として知られたのは、2004年でした。バレロ・リベラとエンリック・マシップ、シャビエル・オ・カラギャン、イニャキ・ウルダンガリン、ラファ・ギホサなどのスター選手が去った後も、ハンドボールの成功は続き、その証拠に、2006年、7回目のチャンピオンズリーグを獲得しました。
2011年には、シャビ・パスカルがベンチに座り、8回目のチャンピオンズリーグ優勝を果たしました。2011年から、ハンドボールセクションは連続してリーグ優勝を手にし、歴史に残る新たな連続優勝記録を樹立しました。2014/15年、ハンドボールセクションは、制覇可能な全優勝杯を持ち上げました。同じ記録は、 やはり、バルサが達成した1999/00年の記録のみです。

フットサル

フットサルセクションが公式に設立されたのは、1978年9月でした。その2年前、既にバルサのユニフォームを着てプレーするフットサルチームは、存在していましたが、それは、元プロサッカー選手達が、集まってフットサルをプレーするために始まったものでした。このスポーツがカタルーニャで行なわれるようになった70年代のことでした。最初の公式的な大会は、クリスマストーナメント(Trofeo Navidad)であり、バルサはこの大会でプレーし、チャンピオンになりました。

1978年9月、FCバルセロナに公式セクションが作られ、3部に登録されました。その昇格はスペクタクルなもので、素晴らしいシーズンを過ごした後、カテゴリー昇格を果たしました。このスピードで、 1979/80年には、2部から1部への昇格を果たしました。また、1部に昇格してから、最初の2年間にチャンピオンとなりました。

その翌年、フロントはセクションを解消する決断を下しました。その4年後、ディビシオン・デ・オノールが最高カテゴリーとなる現在の大会システムが構築された後、クラブは再び、セクションを設けました。

90年代の厳しい数年を経て、新しい世紀に入り、最初の十年は、ディビシオン・デ・オノールの順位表では真ん中あたりを占めていましたが、セクションはプロ化され、当時最高の選手、ハビ・ロドリゲスを獲得しました。チームの成功が訪れるまでは、2010/11年まで待たなければなりませんでした。バルサはその都市、4冠を手にし、リーグ、スペインカップ、スペイン国王杯、カタルーニャ杯を制覇しました。

これらのタイトル獲得が、FCバルセロナ覇権の始まりでした。その後、リーグ優勝3回、スペイン杯3回、国王杯4回を連続制覇し、更に2012年レリダで行なわれたファイナルフォーでは、ポルトガルのスポルティングを準決勝で、ディナモ・デ・モスクワを決勝で下して、最初のUEFAフットサルカップを獲得しました。

2014年、 二度目の UEFA フットサルカップでも優勝しました。フェルナンダウ、ワイルデ、トーラスを筆頭に作られたチームは、バクにて行なわれたファイナルフォーで、再び、ディナモ・デ・モスクワと対戦し、2-5で試合を制しました。

フィールドホッケー

FC バルセロナのフィールドホッケー部門は、1942年6月1日に公式設立されましたが、その1年後、自営のコート獲得問題により、消滅しました。

その後、グランビアのコートを借り、1948年に再び、設立されました。それから数年に渡り、60年代の最初まで、バルサのホッケーチームは、その覇権を手にし続けました。しかし、クラブがセクションの予算を削減したことにより、1963年に危機に陥り、その危機は7年間、続きました。

1970年、元バルサの選手、ジョセップ・ロレンテがFCバルセロナの手綱をとり、チームに改革のメスを入れ、望まれていた結果を手に入れました。1972年から1987年、ホッケー部門は、毎年、少なくとも1つはタイトルを制覇するという偉業を成し遂げました。唯一の例外は、1975/76年のシーズンのみでした。

その間に、最初の欧州杯も1973年に獲得し、1985年まで、全部で 10ものタイトルを手にしました。この好調ぶりに歯止めがかかったのは、1987年でしたが、これは選手の世代交代が上手くいかなかったせいでした。1987/88年の終わりにジョセップ・ロレンテは、チームを去りました。17年間に渡り、39ものタイトルを制覇しました。

1996/97年まで、次の欧州杯を手にすることはできませんでしたが、その時以来、ホッケー部門は、常にヨーロッパのベストチームとして現在まで存続しており、2015年の21回目の欧州杯を含め、20以上のタイトルを制覇しています。