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Gerardo 'Tata' Martino en un entrenament a la Ciutat Esportiva / FOTO: MIGUEL RUIZ - FCB

ヘラルド 'タタ' マルティノ は、2013年7月26日にFCバルセロナのトップチームを率いることになった。 この日、Auditori 1899にて、正式に就任が発表された。バルサは、既に 2013/14年のシーズンに向けて動いており、新たな治療のために、続投できなくなったティト・ビラノバを引き継いで就任した。

タタ・マルティノの率いるバルサは、アトレティコ・デ・マドリードを相手にスペインスーパー杯を制覇し、好調なスタートを切り、開幕から8試合連続勝利をあげ、28得点6失点の成績を残す快挙を収めた、また、20試合連続無敗記録(リーグ戦14、チャンピオンズリーグ4、スペインスーパー杯2)を樹立し、16勝4分け中52得点11失点という好成績を収めた、しかしながら、バルデス、ピケ、アルバ、ネイマール、メッシなど、主軸となる選手が次々、負傷する不運に見舞われ、リーグタイトルがかかった最終節アトレティコ・デ・マドリードとの試合で勝利をあげることができず、ドローに終わり、FCバルセロナとの契約を両者合意の上、解消し、1季のみで去ることになった。

生まれは、ロサリオ (アルゼンチン) で、1952年11月20日に生まれ、1998年に監督としてのキャリアをスタートした。 最初に座ったベンチは、ブラウン・デ・アレシフェス、アルゼンチンのナシオナルBのチームだった。1999/00年に別のアルゼンチンのチーム、プラテンセを率いて、2000/01年には、インスティトゥート・デ・コルドバの手綱を取った。

その後、 ヘラルド・マルティノは、パラグアイサッカーに降り立った。 そこでクラブ・リベルタッド。後にセロ・ポルテーニョを率いて、2004年までベンチに座った。その後、コロン・デ・サンタ・フェ(アルゼンチン)を短期間、率いた後、クラブ・リベルタッドに再び、戻り、成功を収めた。そこから、パラグアイ代表監督となった。

2010ワールドカップでは、パラグアイ代表を率いた。 パラグアイはベスト8でスペイン代表とあたり、決死の戦いを行なったが、その後、ワールドカップチャンピオンになるスペインを前に敗れた。2011年もパラグアイをコパ・アメリカまで率いた。それから、代表監督の座を捨てて、彼の古巣ともいえるニューウェル・オールド・ボーイズ が苦境に陥っていたのを救いに行き、ロサリオの`タタ’は、古巣を救っただけでなく、更に2013年の大会では優勝に導いたのだった。また、リベルタドーレスカップの準決勝にまでニューウェルズを連れていった。

マルティノが率いた全てのチームは、攻撃的、創造的かつチームワークを基にするサッカーを行なっている。また、マルティノの哲学には、高い位置からプレスをかけること、キーパーからのボール出し、カンテラへの信頼などがあげられる。

2013年7月26日にFCバルセロナの監督として就任したマルティノは、 クラブ史上、4人目のアルゼンチン人監督となった。過去には、エレニオ・エレラ (1958-60, 1980、1980-81)、 ロケ・オルセン (1965-67)、セサル・ルイス・メノッティ(1983-84)が就任している。

マルティノは、ニューウェルズで監督として就任する以前、選手としても成功を収めている。選手としてデビューしてから17年間、総計505試合に出場し、マルセロ・ビエルサなどから影響を受けている。マルティノは、スキルに優れた攻撃的ミッドフィルダーだった。他にテネリフェ(1991年始め)、ラヌス、オ・ヒギンス(チリ)、バルセロナ・デ・グアヤキル(エクアドル)などのユニフォームをまとい、1996年に引退し、監督としてのキャリアを歩み始めた。