Spectacular photo of Cruyff in action

1969-1978 クライフと民主主義

1969年、アグスティ・モンタル・コスタが選挙によりクラブ会長に就任しました。 彼の目論見は、会員の関与を強く求め、そしてすべての会員の意見を投票を通じて必ず反映するように努めることでした。 モンタルは1973年に会長に再選されますが、その際の選挙スローガンは「バルサはクラブ以上の存在」でした。

会長としての在任期間中、モンタルはカタラニズムの復興を積極的に擁護し、スペインフットボール連盟や国民スポーツ協会のフットボールにおける中央集権的な支配に断固として反対しました。 彼の影響力によりFCバルセロナは、市民戦争後にスペイン語に変更されたクラブ名を手始めに、その象徴の数々を取り戻し始めます。

そして、オリオンドス(スペイン系であると主張して、スペインでのプレー許可を得るために出生証明書を偽造した外国人選手)に絡む腐敗が頻発したことにより、外国人選手との契約が可能になりました。 ヨハン・クライフとの契約というバルサの夢は現実味を帯びてきました。

また、ローラーホッケーセクションが優勝を重ねるようになりました。現在、クラブのプロフェッショナルセクションの中で最多の国内外タイトルを獲得しているのはローラーホッケーです。